昨夜の快い余韻のなかに最終日は明けた。ここ足摺岬は東京都八丈島より緯度が南なのだという。国土地理院地形図によれば八丈島南端は北緯33度2分であるのに対し足摺は同32度43分。1分が1.8kmなので両者の南北差はおよそ35km。どうだ、まいったか。 |
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窓越しに日の出。7:03。 |
大浴場はあの廊下の先。EVもエスカレータもなく、階段をしっかり昇り降りした。 |
今日のコース=宿舎→足摺岬→灯台→金剛福寺→四万十川(バス中より)→高知(午餐)→坂本龍馬館→桂浜→高知城→高知駅(特急)→岡山(新幹線)→新大阪 |
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われらがお宿「足摺パシフィックホテル花椿」正面。平屋ではなく、ここが3階で斜面を下へ延びる構造。 |
地元の英雄・ジョン万次郎の銅像(ガイドマップにはジョン万銅像とあった)。背後は金剛福寺。多宝塔が見える。 |
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8:55 Self-Timer |
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足摺の七不思議の一「地獄の穴」。(この穴に銭を落とすとチリンチリンと音がして落ちて行き、その穴は金剛福寺付近まで通じるといわれる) |
足摺の七不思議の一「大師の爪書き石」。(弘法大師がこの石に「南無阿弥陀仏」の六字名号を爪で彫ったと伝える) |
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足摺岬灯台。 |
足摺の七不思議の一「大師一夜建立ならずの華表」。(弘法大師が一夜で鳥居を造ろうとしたが、夜明け前に天邪鬼が鳥の鳴真似をしたため、夜が明けたと勘違いし、やめたといわれる) |
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蹉跎山金剛福寺。四国八十八箇所霊場の第三十八番札所。左は山門、右は本堂。 |
本堂前には修行大師像と石造りの亀「大師亀」がある。弘法大師が修行中亀に乗って海中の岩に渡ったとの言い伝えがあり、この辺りで亀は大切にされている。この頭は乃公が撫でたせいか見事に光っている。 |
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足摺を出て1時間がとこ走ると、向こうに大きな橋が見えてきた。四万十大橋だ。 |
橋を渡ると大きな「中州」、と思ったらこれは支流が合流する突端で、四万十の本流は右側。。。通過! |
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足摺から高知まで160kmあり途中トイレ休憩。途中から高知自動車道に入るとさすがに早い。 |
とはいっても都合3時間を要するロングドライブで、午餐場所「かつお船」に入ったのは13時前。 |
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カツオのたたきがメインの松花堂。腹がくちくなったとき後から入ってきた台湾の団体さん、たたきの単品定食を持て余したか「食べて下さい」と数人前が目の前に。もちろん頂きました。 |
そんなことでお腹一杯になって外へ出たら、OT君が「これ旨い」というのにつられ又もやソフトクリーム。美味かった。 |
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浦戸大橋を渡ってまずは坂本龍馬記念館。入口の龍馬像と握手する。/^シェイクハンドぜよ!! |
申訳ないが乃公殆ど素通りだった。最上階からの展望はキレイだったが。遥か向こうは室戸岬方面。 |
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記念館の前に小山があるので“もしや?”と覗いたら案の定、「浦戸城址」だった。皆の出て来るのを待つ間ちょこっと登ってきた。天守の跡に三角点標石(59.6m)と山祇神社の祠があった。 |
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坂本龍馬像。“心はいつも太平洋ぜよ”と書いた櫓が傍にあって、目の高さで龍馬の横顔が拝めるというのだが、“EVは無いのか?”のほか“100円要るんやて”という話が飛び交ってオシマイ。onmouse-up |
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桂浜は「勝浦浜」という古地名の転訛だという。それはともかく、ここのシンボルはあの先に鎮座するお宮さん。名は海津見神社龍王宮。右は遥かに離れて立つ一の鳥居。 |
かくして「土佐闘犬センター」などには目もくれず(笑)桂浜に別れを告げ、一路「四国お城巡り」最終地の高知城に向かう。 |
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入口を睥睨する初代城主・山内一豊の銅像。 |
江戸時代からの遺構・追手門。重要文化財。 |
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板垣退助の銅像。「吾死スルトモ自由ハ死セン」の言葉で有名。OT君がアメリカで板垣の曽孫に偶然会ったという話が再現。 |
山内一豊妻・千代の像。「内助の功」で語り継がれる。夫へ贈ったとされる馬を連れている。 |
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壮大な石垣は築城当時よりのもの。 |
天守から東北望。秋の傾いた日射しが天守の影を伸ばす。 |
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天守と御殿(重文)。建屋は別だが第一層の屋根続きというややこしい建築。二の丸御殿が出来るまで城主の山内一豊夫妻が住んでいたという。 |
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かくして今年の四国旅行も無事終了。高知駅は出来て8年。「くじらドーム」の愛称をもつ、地元産の杉材を使った斬新な設計(Wikipediaによる)。これは北口。 |
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ここで遠路東京から参加してくれたOK君とお別れ。後ろに見えるリムジンで高知龍馬空港へ向かう彼を見送り、→ |
一杯のお茶ののち車内でしたためるべき駅弁を探したが、ない。間に合わせを持ってとりあえず特急に乗ったら車内販売そのものがない。みんな岡山までジッと我慢の子であった。 |
ということで岡山まできたら数分の延着。乗り換え時間が10分を切り、一同大慌てであった。幸い誰一人乗り遅れず、姫路・新大阪・京都まで帰ることが出来た。 3日間を通じて交通公社兼城郭担当相の高森君、そして金庫番のST君に深甚の感謝である。 |
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