多米社旧地と須牟地曽根社  2011年1月26日

♣今日のルート: 地下鉄長居駅→多米神社旧地→長居駅=地下鉄北花田駅→須牟地曽根神社→北花田駅♣


多米神社旧地(1/15の落穂拾い)】多米ため社旧地の全景。大楠が旧社地の名残を伝えるかのように高く聳えて雰囲気を引き締めている。


多米社旧地正面。鳥居の扁額には「多米社」とある。


ここは大阪市住吉区長居2丁目。JR長居駅北200m。多米社の社号標石を据えた社地がある。ここは先日訪れた神須牟地神社の管理下にあるらしい。こういう碑石だけを祀った“お社”も珍しいのではないか。神須牟地神社境内にあった説明書きにはこうあった(神須牟地神社の項省略)。 「多米神社は古い豪族多米連が創建したと称せられ延喜式内社の古い神社で別名苗見神社又種貸神社とも言われ又ただ明神さまと称して浪速の名所に数えられ農耕の神又子宝の神として崇敬があった。又言伝えによると住吉大社の御田植の苗を当社で栽培したと言う。/元文元年(1730年頃)9月徳川幕府は神須牟地神社及び多米神社の廃滅に瀕せしを憂い、幕史菅廣房に命じて双方の地に神須牟地社・多米社と刻んだ石碑を建立して現存している。」


須牟地曽根神社(1/15の落穂拾い)】須牟地曽根すむちそね神社全景。


本殿


堺市北区蔵前町に坐す須牟地曽根神社。まあ分かり難いこと夥しい。鳥居がなかったら見逃すかもしれない。この蔵前や傍の船堂などの集落は、集落内の小路が“筋違”になっていて見通しが利き辛い。
ㅤ社頭の表示板にはこう記す。「由来/延喜式神名帳によれば摂津国住吉郡中臣須牟地曽根神社と見ゆるもの即是れにして須牟地曽根命を祀り今まで勝手大明神と称し村社にして此の地の産土神たり、創建の年代は神功皇后六年の此なりと記す。旧本殿は明治二十八年焼失し此れにより金岡神社に合祀せられるも今日新たに須牟地曽根命を主神とし、勝手大明神、毘沙門天を合わせ祭り末代迄子孫につたえるためしるす。/平成五年十月吉日/須牟地曽根神社/氏子一同」
須牟地曾禰(すむちそねの)神社 〔延喜式〕に、摂州に出。南花田蔵前村にあり。今、勝手明神と称す。此所の生土神とす。(後略)(河内名所圖會)