♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−14−” ♣
今日は念願かなって三田の奥、高賣布神社を訪うことが出来た。方角的に帰路にあたる3社を加えて今日のコースを編成。ところがいままで金科玉条?としてきた攝津名所圖會の社名記述(高賣布神社、公智神社、有馬神社、温泉神社)が、前2社はともかくとして後2社が延喜式神名帳記載と異なる(らしい)ことを発見。いまパニクっている最中である。曰く高賣布神社、公智神社、有間神社、湯泉神社である。神社さんサイドではそううるさく言わないようだが、こうしてページを作るとき困ってしまう。 |
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18世紀並河誠所の考証によって建てられた社号標石「賣布社」。 |
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バス停「花折橋」から高賣布神社遠望。 |
近くなってきました。屋根が特徴的です。 |
37号線に面して杉の“グリーンベルト”がある。なかなかの心遣い。 |
拝殿。素朴でおおらか。実際大きいのです。 |
攝津名所圖會(河邊郡)に曰く 「高賣布神社(たかひめのじんじゃ) 高平谷坂井村にあり。〔延喜式〕に出づ。今惣社明神と稱す。此谷中の生土神とす。上梁文に曰く、永正十年越前寺小野時家修補す」。 |
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高賣布社本殿。 |
神社なのだが農家の納屋のようでもあり、その雰囲気からなかなか立ち去り難かった。 |
高賣布社の東方真向かいに聳える大船山(653m)。ここは5年前に登頂した。(→ここ)をクリックし、酒井集落俯瞰画面を拡大したら杉の葉の間に高賣布社が見える。ついでながら花折橋の更に二つ向こうのバス停が“十倉”。 |
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ここは三田市下里の在。羽束川にかかる下里橋。乃公出身地が那智勝浦町に合併する前は「下里」町だった。 |
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真南に聳える羽束山(524m)。道のドン突きにあるこんもりとした杜は大歳神社。 |
大歳神社は上槻瀬バス停のそばだった。背後に樹齢300年のケヤキ。 |
上槻瀬からバスの人となり、正午三田駅帰着。軽く午餐をしたためてこんどは有馬行き阪急バスを利用する。下山口で下車、西へ数百メートルで下記の風景が目に飛び込んできた。ちなみにここは西宮市。 |
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鳥居の扁額には「式内公智神社」。背後はすべて社叢である。 |
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公智神社拝殿。すべて鉄筋コンクリート造りで丈夫そう(笑)。昭和49年(1974)改築という。 攝津名所圖會に曰く 「公智神社(こうちのじんじゃ) 功地山にあり。〔延喜式〕に出づ。鍬靱。今天王と稱す。山口・中野・名來等の生土神とす。」 |
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紅葉の社頭に飾られた菊花。背後の茅葺は神輿庫。 |
公智神社本殿。尤もこれは覆屋で江戸時代の木造本殿が内部にあるのだそうだ。 |
神社北側の社叢を切り開いて作られた道。阪神流通センターへ抜ける。 |
さらに一山抜けたところで見かけた、ホタルブクロかなァ |
神戸電鉄田尾寺駅に出、一駅乗って岡場駅から歩いて有間神社へ向かう。ここから神戸市北区。 |
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15号線に面した大鳥居。扁額は「有馬」でなく『有間神社』である。境内の説明板も「有間神社」。onmouse-up。 |
「有馬社」社号標石。伊射奈岐もそうだが、折損状況に歴史を感じる。?この折損の仕方はひょっとして物知りご隠居さんが馬を間に変えた歴史を物語るか?疑えば、だが。 |
有間神社拝殿。この扁額も『有間神社』。 攝津名所圖會に曰く 「有馬神社(ありまのじんじゃ) 同郡中尾の属邑西尾村にあり。〔延喜式〕に出づ。今山王と稱す。近隣七村の生土神として、例祭を共にす。村民平日穢を忌む。婦人産の期水涯に出でゝ分娩す。いまだ嘗て此里に産死のものあらず。」 |
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有間神社本殿。 |
神社境内の紅葉。今日巡ったうちでここが陽光の具合と相俟って紅葉が一番きれいだった。 |
神戸電鉄五社駅まで歩き(上記は駅ホームの紅葉)、有馬口経由有馬駅にはじめて降り立つ。何度か訪れていながらこの駅は使ったことがなかった。歩いて湯泉神社へ向かう。 |
イチョウの黄葉も青空に映えてキレイだ。 |
湯泉神社一の鳥居。扁額には「温泉守護神」とあり、右背後の石碑には「式内湯泉神社」とある。 |
参道石段。赤い幟旗には「有馬温泉守護神 湯泉神社」とある。 |
湯泉神社拝殿。 攝津名所圖會に曰く 「温泉神社(をんせんのじんじゃ) 湯山にあり。〔延喜式〕に出づ。大、月次、新嘗。今湯山三所権現と稱す。祭神三座。中央熊野権現・左三輪明神・右鹿舌明神なり。此神は郡内羽束山香下明神にて、神體は少彦名命なり。三座の中三輪明神を當山の地主神とす。」 |
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湯泉神社拝殿。 |
湯泉神社本殿。この裏に回りこむと温泉の匂いがした。 |
月曜日というのに温泉街の人出の多いこと。この年代の人が遊んでいるの?と思われるのも多くて、人生いろいろなんだ、と妙な感心のしかたをしたことであった。下山口経由の阪急バスで宝塚へ出て帰途につく。車中しっかり寝てしまった。 |
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