安威川に沿うお社  2010年10月15日

♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−通算10−” ♣

 

この“北摂の式内社巡り”はさほど綿密な計画をたててスタートしたわけではない。むしろ大雑把だったというのが当っているかもしれない。しかし第1回3万歩あるいたときホンの一寸足を伸ばせば訪れることができた先が残っていることに気付いて残念至極。その結果が今日だ。たまたま3社が安威川沿いともいえるルートを形成していることで“ソレソレ”とばかりに出かけたのだが、阿爲神社に幣久良神社が合祀というデータを失念したのが今回の失敗だった。ネットでは境内中には見当らないとあったので、一渡り見回した乃公の見落としではないのだが。次回。次回。

阿爲あい神社拝殿と本殿。ごく最近建て替えられたもののようだ。
 攝津名所圖會に曰く 阿爲神社(あゐのじんじゃ) 鍬靱。〔延喜式〕に出づ。安威村にあり。今苗森明神と稱す。
ㅤなるほど。燈篭に「奉納 苗森大明神」とあった。

【追記10/31】竹林の愚人さんのサイト『幣久良神社考2』を精読して次の記述に行き当たった。これで解決か。曰く 「では、幣久良神社の宇賀御魂神はどちらに鎮座されているのでしょうか?やはり『式内社調査報告』にあるように阿為神社本殿です。[阿為神社本殿/主神:天兒屋根命/応神天皇・・・・奉幣神社(明治40年4月5日合祀)/宇賀御魂神・・式内社幣久良神社(明治40年2月24日合祀)/菅原道真・・・・無各社菅原神社 (明治45年6月合祀)]」。竹林の愚人さんに感謝。

攝津名所圖會に曰く 幣久良神社(みてぐらのじんじゃ) 耳原村にあり。鍬靱。〔延喜式〕に出づ。生土神とす。今稲荷大明神と稱す。

この道は阿爲神社参道でもあり正面に見える大念寺の参道でもある。そして茨木市「キリシタン歩道」の安威の起点である(左手前の標識)。そうか、既視感はかつてキリシタン街道を辿った名残りなのだ。

阿爲神社一の鳥居。

左・二の鳥居方面と右・東参道の分かれに社号碑が建つ。曰く「式内郷社/阿爲神社」。

阿爲神社拝殿正面。

そして二の鳥居。

太田神社へ向かう道すがら太田茶臼山古墳(継体陵)遠望。その右手ややこんもりしているのが太田神社の社叢。

旧西国街道に出てきた。町名表示は「太田東芝町1」。しかし金網の中にあった東芝大阪工場は今やなく更地状態。

太田神社参道起点にあった古い道標。
ㅤ左面「左 京 ふしみ道」、右面「右 とん田 三しま江」。

太田神社拝殿。 攝津名所圖會に曰く 太田神社(おほたのじんじゃ) 太田村にあり。〔延喜式〕に出づ。俗傳に云ふ、相殿三座。内宮・外宮・天王を祭る。摂社天満宮。」

太田神社鳥居。

太田神社本殿。

更地になった東芝工場の跡地西側を南下すること約1km。171号線を越えて更に200mばかりのところに名前だけは聞いたことのある疣水神社があった。(ただしここは式内社ではない。しかし攝津名所圖會にも記載がある程度には江戸時代の名所であったわけだ。)

疣水神社西の鳥居。正式には磯良神社というそうな。

疣水神社正面三の鳥居を通して拝殿を望む。

攝津名所圖會に曰く「便(よるべ)の水 西河原村新屋社の東南一町許にあり。原此所は新屋神社の神籬の内なり。よるべの水は社頭の神水なり。世人此水を疣水といふ。こゝに来たって疣・黒痣を濯ふ時は、忽に抜落つるとぞ。天照御魂社の神水なれば、面貌の疣にも限らず、邪念の穢を清め洗ふ時は、などか美とならざらんや。むかしは此水潤澤にして、田畝数千頃を養ふ。後世社を北に遷し、ことごとく林樹を伐って、墾開して田となす。これより清水漸く涸れて少水となる。(中略)〔攝津志〕には玉の井と書けり。」

そして171号線に戻り、交差点西北角に鎮座ましますのが新屋坐天照御魂神社“西河原版”。まあなんと賑やかな、いや、騒々しい場所であることよ。通りすがりの在所の人に聞いたところ、171は戦後できたもので、昔は171南側にあるガソリンスタンドのみならず、疣水神社までを包含した広大なお社だったのだという。

新屋坐天照御魂神社拝殿。ここでこの神社「三座」をクリアしたことになる。ここには社号標石が右手前に。「新屋坐天照御魂社一座」。「云」の偏が「鬼」の上に乗っているなど福井在のお社と同じ。 攝津名所圖會に曰く 新屋坐天照御魂神社三座(にひやにいますあまてらすみたまのかみのやしろさんざ) 西川原村にあり。〔延喜式〕神名帳に曰く、名神大。月次、新嘗。就中天照御魂神一座。預相嘗祭云云。〔三代実録〕に曰く、貞観元年正月授従四位下。同五月新屋座天照神伴酒着神幷授正五位上云云。天照御魂神一座は西川原村にあり。近隣七箇村の生土神とす。一座は福井村にあり。今天王と称す。〔上梁文〕に曰く、天正十二年八月領主中川瀬平清秀三座を造営す。一座は上川原村にあり。称して天照太神といふ。清水村も亦祭祀を共にす。」

このお社ではちょうど神事が行われている最中であった。巫女が笹で熱湯を振りまく神事を「湯立神楽祭」という例を見たがそれとほぼ同じものか。終了後氏子さんに本殿前へ招じ入れられ一緒にお参りさせていただいたのには恐縮した。篳篥や笛・太鼓“実演つき”。こういう機会に遭遇したのは僥倖としか言いようがない。写真右は左を拡大したもの。

ルートマップの下部に見られる旧河道がいまこのような公園になっている。名付けて「西河原公園」。

安威川に架かる橋から竜王山、阿武山遠望。

今日の総歩数 (不明)    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら