現行の中学校や高等学校の教科書の中には明治以前の人々が学ばなかった新語が少なからず採用されている。新聞や雑誌にも目新しい言葉が日々に現れ、よほど博識の人でなければ全紙面の記事を正しく理解することは困難である。時勢はめまぐるしく変転し、人々の思想も動き、生活も推移する。勢いこれを表現する言葉もまた変化せざるを得ない。古い辞典を以て現代人の著述を正確に読もうとしても殆んど不可能に近いであろう。
このことはわがグリークラブに於ても同じである。今年も一年生を多く迎えたわけであるが、それら新入生がまず困惑するのは楽譜を読むことよりも先に、部員同士の日常会話を理解することであろう。「今日はサルマスやな。ルヒシメ食うカネもあらへん。デレーするにも引き合わんし、お前ちょっとツェーヒャク貸してくれへんか?」「ムッカー、実にオコサだね。注射して来いよ」てな具合だから実に理解に苦しむ。世間には量的にも質的にも勝れた辞典が多く出ているが、仮にそれらの頁をくってみたところで解決のつくわけはない。われわれも時代の推移に伴って、最も適切な表現の出来る用語を生みだしてきた。そしてこれらの語はグリーに於て生活するに不可欠のものとなってしまった。
当総合調査室では過去三年間に亘って研究を続け、全く新しい時代感覚と資料とによって編集を試みたがそれがようやく完成に近づいたので特に本誌上に公開することになった。
以前からこの実現を待っていたのだが、理想は語るに易くして容易に実現されない。しかもこの成果を見るに至ったのは全グリークラブ員の協力にまつ所が甚だ多い。ここに集めたものはその数百五十にのぼるが、これらはいずれもグリークラブ内だけで発生・使用されているもので、中には外部に於ても同様に使用されている語もあるが、それらもグリーでは特異な意味で或は、ひんぱんに使われているものである。近く大方の示唆によって更に改訂・補正を加え、いよいよ完璧なものとして一冊の本にまとめて出版したいと思うのだが、ちと大げさすぎたかな。とにかく本邦初公開ではある。
昭和三十二年五月 責任監修 西島章三 |